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金沢で活動するアコースティックバンド「LoveForLife」の活動紹介とTARUMIの雑感を綴っています。

(~つづき)

今回の震災で学んだことは何か。現時点で自分が強く感じている想いを記したい。


郡山では人の優しさを本当に強く感じられた。

震災後,散乱した店の中から携帯電話のバッテリーを出して来て売ってくれたヨドバシカメラの店員さん。
吹雪の町で唯一店を開いて「ご飯が炊けないので」と謝りながら牛肉と豚汁を出してくれた吉牛の店員さん。
割れたガラスを補修しながら,オニギリとけんちん汁を配給してくれたホテルのみなさん。
空港でいろんな人に声をかけながら,震災時や避難所の話を明るく話して元気を振りまいてくれた北海道のおじさん。

これらは自分が,現場で直接肌に触れて感じた空気だ。

そして,ツイッターやメール,電話を通じて心配や励ましの声をかけてくれた家族,友人たちの声には,情報通信技術を通じて肌に感じられる空気があった。
それ以外にも,同様の空気感を報道等を通じて感じている。
例えば,「PRAY FOR JAPAN」のサイトには,多くの励ましや応援のメッセージが寄せられている。福島空港に向かうバスの中で涙なしには読めなかった。


この空気感はいったい何だろう。それを読み解く上で,心に残った2人の言葉を紹介したい。

1つは4月20日の日経記事「大震災 日本を立て直す」に記された野中郁次郎氏の言葉だ。

「日本の企業や社会には全体の利益を考える『共通善』のDNAがあり,震災という未曾有の危機でそれが発揮されることを期待したい」
と述べている。

日本社会にある『共通善』のDNA。
自分が郡山で「僕らのDNAに太古から刻まれているものなのかもしれない」と感じたもの,「類としての人間」「助け合うことで人類は生存してきた」と語ったものの正体は,この『共通善』なのではないだろうか。



もう1つは,NHK「マイケル・サンデル究極の選択『大震災特別編~私たちはどう生きるべきか~」でマイケル・サンデル氏が述べた言葉だ。

「思い出して欲しい。私たちは震災の時の日本の人々の素晴らしい対応からまず議論を始めた。彼らは非常時でも礼節を重んじ,冷静で自己犠牲の精神にあふれ行動した。その姿に驚き,そして誇りに思ったという意見が聞かれた。
もしかすると今回の危機に対するグローバルな反応や支援の広がりは,コミュニティの意味やその境界線が変わりつつある,広がりつつあることを示しているのではないだろうか。
今回多くの人々が感じてくれたことがあった。それは上海でも東京でもボストンでも意見が上がったが,つまり地球の反対側にいたとしても日本の人々の冷静で勇敢な対応には強い共感を覚えることができたということ。
日本の人々の痛み,苦しみを私たちは分かち合うことができる。それだけではなく日本人が見せてくれた,素晴らしい人間性や功績をまるで自分のことのように誇りに思うということができるということだ。」


氏は,著書「これからの『正義』の話をしよう」の最後の章で「共通善に基づく政治」ということを述べている。ハーバード大学の議論は自分の物差しを振り返る上でとても興味深く大好きだったが,2010年8月号の週刊東洋経済で氏の「共通善」の話を読んだときは,正直ピンと来なかった。

今回,氏の考え方が胸に落ちたのは,郡山での経験が本当にそのとおり,共通善に基づくコミュニティを感じられたからだろう。

そう,氏が述べているように「共感」というのは広がる。地球の反対側にいたとしても。
そして,人の気持ちを動かすのは対立ではなく共感なのではないかと思う。



野中氏の言葉を付け加えると,氏はこうも語っている。

「日本には社会全体として傍観者的に発言することが知的であるという風潮がある。しかし,これほど『反知的』であることはない」
「震災でわかったのは,企業の現場には実践を通じて培われた『実践知』が失われずに残っていたことだ」
「現場からイノベーションが持続的に生み出される共同体を目指すべきだ。」



連日の報道。日に日に励ましや応援のメッセージは薄れ,批判的な記事,そればかりか意図的なデマや風評がはびこるようになって,少々落ち込んでしまった。
郡山で感じたはずの空気感が徐々に変わっていくのを何とか止めたいという気持ちが働いた。

もちろん,議論の中には建設的な批判もある。原発記事などは特にそうだ。
大多数の原発反対意見は,福島の人や町や海を守りたくて,良心に基づいて訴えているわけだ。それらを否定するつもりはない。むしろ共感する。
ただ一方で,東京電力の全ての社員までをも批判し,吊るし上げるのはどうだろうか。
原発推進派の人たちの声にも耳を傾けることなく,世紀の大犯罪として責任を押し付けることで,傍観してきた,あるいは流れを止められなかった自分たちの責任は免れるのだろうか。

なぜ原発の必要性を訴えていたのか(その部分には自分も同意する),そのことを理解した上で,ともによりよい未来を選択していくことこそが,共同体としてのあり様なのではあるまいか。

僕らはもっと『反知的』状態から脱皮し,自分たちの思いや知識がどうしたら現場に生かされ『成果』として結実させることができるのか,そこまでを考えねばならない。
どんなに正しい主張であっても,それが人の気持ちを動かして成果に結びつけられなければ意味がない。
ドラッカーの『成果こそ,すべての活動の目的である』という言葉を借りるまでもなく,だ。

考え抜き,議論を積み重ね,更には共感の輪を広げていくことこそが『成果』への道と思う。
7つの習慣で言う『理解してから理解される』を実践し,『実践知』を積み上げていくことが求められている。
それが共同体を作っていく道なのだろうと思う。
これは,今後の社会作りを進めていく上で,ぜひとも根底にしたい考え方だと感じている。



ありふれたことを言うようだけれども,やっぱり自分は温かい人の声を信じたい。
あの空気感を自分の考えの根底に据えたい。

それが今回,自分が震災から学んだことだ。


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2011.05.01.Sun 08:00 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
(~つづき)

9:00。福島空港に着いた。
空港内に入ると思いのほか人がいっぱいいるじゃないか。
受付までにはフロアの端まで列ができあがっている。

これだけ人が多いと本当に乗れるか心配になる。名古屋便は12:00。
最後尾に並びながら確認メールを読み直してみる。
よく読むと予約を受け付けたとは書いてあるが,手配が完了したとは書いてないな。

不安を抱えつつ並んでいると,隣で60過ぎくらいのおじさんが30代くらいの若い人にチケットのことを質問している。
予約も何もせず並んでいるらしい。訊かれている若い人はどうやら名古屋へ向かいたいようだ。
誰かと喋りたい気分だったので,話題に加わることにした。

名古屋の人に訊くと,携帯でチケット予約して確認番号というのが出ているとのこと。自分はそんなのない。
メールを見せるけど,その人も理由はわからないようだ。だいぶ不安になってきた。

もう一人のおじさんは札幌から。とても気さくな人ですぐに打ち解けて話をしてくれた。
会津から電車の中で地震にあったとのことだ。6:00過ぎまで身動きが出来ず,ようやくバスが迎えに来て,郡山駅に連れて来られた,駅の隣のビルの7Fが避難所になっていて,そこで2晩過ごしたそうだ。
「避難所は暖房もテレビも食事もあったので,楽でしたよ。今日飛行機乗れなかったらまたあそこに帰るよ,ははは~」って感じでとても明るい。
「あの3つ前の人は避難所で一緒だった人。石川の小松の人だから,君あとで声かければいいよ」とか教えてくれた。
震災の中,こういう明るさはとても魅力的だ。一緒にいたくなる感じの人だ。


カウンターまであと20mほど。遅々として進まなくなっている。

そうこうしているうちに,名古屋便の予約の方~とアナウンスがあり,名古屋の人は列を離れて行った。
無事飛行機に乗れるようだ。階段を上っていった。

「札幌へ行く方,こちらに並んでください~」
空港の人の呼び声。呼んでいることを教えてあげたら,北海道のおじさんは嬉しそうに頭を下げて向こうの列に移動して行った。向こうの列でも早速隣の女の子に話しかけてる。

10:30。スカイチケットからメールが届く。
予約が取れたのだろうか。恐る恐るメールを開く。
「ご希望の日程につきましては現在すでに完売となっております。」

ガーン!チケット取れなかった!名古屋行きは完売のようだ!

家族や実家の両親には名古屋便に乗れると伝えちゃったので,なんか糠喜びさせちゃったな,と申し訳なかった。
仕方ないのでその旨電話で伝える。案の定,不安そうだ。

とにかく名古屋が無理でも,どこでもいいので移動しなければ。今日が無理でもチケットを買いたいので,このまま並び続けるしかない。


札幌のおじさんの列を見る。どうやらカウンターに到着したようだ。
カウンターのお姉さんから「申し訳ございません」とか言われている雰囲気。大丈夫かな~。
しばらくすると,嬉しそうにこちらにやってきた。
「16時の札幌チケット取れました!」

よかった!おじさんも本当嬉しそうだ。こっちまで嬉しくなる。
おじさんは手を振って,いろんな人に挨拶しながら人ごみにまぎれていった。


11:00。カウンターまで10mほどなのに,列はほとんど進まなくなっている。

札幌のおじさんが教えてくれた小松の人に声をかけてみた。50代後半くらいのおじさん。
「私,金沢ですよ」って声をかけると,笑って自分のことを話してくれた。

その人はコマツ関連の仕事をしている人だった。コマツ福島工場に出張に来て工場内で被災したらしい。
「建物がしっかりしているので,工場内はあまり被害はなかったんですけどね。」

そう話していると突然前のおじさんが振り向いて,
「コマツにおられた方ですか?私も実は同じ場所にいたんですよ。」
って声をかけてくる。小松の人も驚いて,話に花が咲く。その人は静岡の人だ。


こんな風に知らない人がすぐに結びつく雰囲気。なんか不思議な感覚。
東北以外からも多くの人がこの地にやって来ていて,震災に合い,たぶんみんな助け合い苦労を重ねて,今ようやく自分の居場所に帰ろうとしているのだろう。

帰ったらそこには別の生活があり,居場所がある。
でもきっとそれは今までと同じではない。
この地で受け取った,教えてもらった何かを持ち帰ってくれるに違いない。
そして自分も。これらの1つひとつ。忘れずに持ち帰り,何をつなげていくことができるだろうか。


11:50。そろそろ名古屋便が出る時間。
さっきの人はもう乗っているだろう。家族にも連絡して喜んでもらえたかな。
きっと飛行機には故郷に帰れる気持ちがいっぱい詰まっているに違いない。
逆に故郷をやむなく離れる気持ちも乗せているかもしれないけど。。

テレビ局が来たりして,混雑ぶりを撮影している。前の小松の人がインタビューを受けている。地元のテレビ局のようだ。
そのとき,空港の人の声が近くで響いた。
「名古屋便の空席出ましたけど,乗りたい方いらっしゃいますかー!?」

おぉ!思わず手を上げる。「はい,はーい!!」

空港の人が近づいて来て声をかけてくる。
「名古屋ですか?そうしたら乗れますので向こうのカウンターへ行ってください」


乗れる!やったー!
走ってカウンターへ行くと,どうやら数席空きが出たようだ。
後ろを振り向いて小松の人たちを呼ぶ。小松の人,静岡の人が走ってこっちへ来た。
「3人ですね。大丈夫です。」

12:00近い。もう飛び立つのはすぐだ。あわてて手続きを済ますと階段を駆け上がった。
「手荷物は持って入ってください。」
ところが手荷物検査で,出張に持ってきたドライバーやニッパー等が引っかかり全て没収となった。
やむを得まい。これで乗れなかったら一生悔やむ。工具はあきらめた。

ようやく検査を通過。最後に乗り込んだ乗客が自分だった。

席に着く。後ろに小松の人の顔が見える。ほっとした表情を浮かべている。
さっきまであきらめかけていた名古屋便。本当に最後の最後に,故郷に帰れるチケットを手に入れることが何だか信じられなかった。

そして。

13:30。名古屋に着いた。

名古屋では普通に電車が来て,店が開いていて,大勢の人が行き交っている。
蛇口からは普通に水が出る。
平穏な街並み。普通の日常風景がそこにはある。

でも,JRの切符を払い戻そうとしたとき,受付の女の子が切符の「郡山」の文字を見て,あっと小さな声を出したりするのを見ながら,きっとこの街の中にも,被災地を思う気持ちが息づいているんだろな,って感じたりする。
一見,前と同じように見える人波も,今回の震災から何かを感じ,学び,変わろうとしているんじゃないだろうか。


18:00。金沢到着。
家族と友人のお出迎えに喜びながら,自分の場所に戻ってきたと感じた。
ようやく帰ってこれた。みんな,心配かけてごめん。そしてありがとう!



ここまでが,自分が体験したことだ。
そして,報道などを通じて感じたその後の思いを続けて書きたいと思う。


3-11-08
福島空港の様子

(つづく)
2011.04.29.Fri 16:19 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
(~つづき)

【3月13日】

日曜日。4:30起床。

早速ニュースで東北新幹線が運転見合わせのニュース。
どうやら列車は無理なんだね。
高速も復旧のメドなし。あとは三重の人のようにレンタカーで下道という手ぐらいしか思いつかない。

原発は一時の危機は脱したものの以前予断を許さない状況。

時折余震が来る。正直だいぶ身体が余震に慣れてしまった。
それどころか揺れてもいないときに揺れているような感覚がある(地震酔いという症状だと後で知った)。

とにかく今日は何としても金沢に帰りたい。

そう思いつつテレビを見る。朗報。どうやら福島空港は発着の予定があるようだ。
飛行機か。。あまり考えていなかった。
どう動けばいい?ふだんあまり利用しないし,予約の仕方も思いつかない。

6:00。とりあえず郡山駅に行ってみることにする。

駅は相変わらずだ。
黄色い区画テープも,2時48分で止まった時計も何も変わっていない。
しかし1点,違いを発見。バスの切符売場に人がいるようだ。

窓口で尋ねてみた。
「今日,福島空港行きのバス出ますかね?」
「8時にあります。今日は臨時便が飛びますから。」

これに乗れば空港へ行ける!
なんとかして飛行機のチケットを入手せねば!ホテルに帰って出発準備だ。


ホテルに戻る。Twitterで何人かの人が飛行機の情報を教えてくれる。
15:15に羽田便,12:00に名古屋便。つい金沢の知人から電話下さいのメッセージ。
思い切って電話してみると,ANAのページから予約する方法を教えてくれた。
マイレージクラブの会員じゃないけど,何とかなりそうな雰囲気だ。

iPhoneでANAにつないでみる。ここだ。必要項目を入力する。これでどうだ。
iPhoneの画面に「予約を受け付けました」の表示。続いてSky Ticketからメール受信。
予約できたみたい!!

帰れる!今日こそは帰れそうだ!

嬉しかった。郡山を脱出したいとか,そういうことではなく,
単純に自分の家に,自分の町に帰れる,家族に会えることが嬉しい。ただそれだけ。

7:00。早々と動くことにする。荷物をまとめた。部屋をあとにする。

ロビーに行くとまだ10人くらいの人がそこで寝泊りし,新聞を読んだり食事をしたりしていた。でも人数は減っている。
自分と同じようにチェックアウトしようとしている人たちも目につく。

チェックアウト。フロントの方には深くお礼し感謝の言葉を伝えた。
すると後ろでホテルの女の人が「オニギリと豚汁いかがですか?」って。
感激して涙が出そう。噛み締めていただく。とても温かい温かい食事。
ありがとう。郡山ワシントンホテル。。

駅まで歩く。駅前の吉牛は昨日から閉店のままだ。連絡先などの貼紙がしてある。
震災のあの日,ここで休ませて食事させてもらったことには本当に感謝。
閉まった扉に向かってお辞儀させてもらった。


それから駅横のヨドバシカメラ
バッテリーがなかったらどれだけ孤独だったことか。
おかげで,家族ともつながれ,友人知人ともつながれた。

店の方面に向いてお辞儀する。

バス停に着くと,既に10人くらいの人が列を作って並んでいた。
自分と同じ出張風のサラリーマンが多い。福島空港行きのチケットを購入して待つ。

8時10分ほど前。旧い友人からのTweetに感激したりしている頃,バスがやって来た。
乗り込む。窓際の席に座る。バスはほぼ満席になった。
バスが走り出すと涙が止まらなくなった。

バスの中では景色を眺めたり,Twitterを読んだりしながらいろんなことを考えた。
時折,屋根瓦が崩れている家が目に入る。
TwitterからPRAY FOR JAPANのサイトに入って,記事を読んでまた泣いた。

この国の前途には大変な道のりが待っていることは既にまぎれもない事実だ。
それでもこの震災からの空気感は何だろう。。
温かい人の声。
それは僕らが持っているDNAの中に,きっと太古から刻まれているものなのかもしれない。
助け合うことで人類は生存してきた。
絆というのはすなわち『類としての人間』ということ。
そしてこれからも僕らは助け合って生きていかねばならないのだと思った。


(つづく)
2011.04.29.Fri 15:23 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
(~つづき)

昼からしばらくは原発のニュースに釘付けになった。
本当にこのままでは大変なことになってしまう。なんとしても原発事故だけは防いでほしい。

自分は一介の電気メーカーの技術者に過ぎないが,これまで出会って来た人の中には少なからず関連ある人がいる。
電力会社に勤めている人や大学で原子力の講義をしていた先生の顔が思い浮かぶ。

原発の是非は当然あるかもしれない。このようなことになってしまった以上,その議論は不可避かもしれない。
が,今はそれを問題視するときでない。
なんとしても東京電力に,それを支える技術者の人たちにがんばってもらわなければならない。がんばってほしい。そう思って食い入るようにテレビを見ていた。


そして15:00過ぎ
ベント成功のニュース!!聞いたとき本当に本当に嬉しかった。
すごいぞ,技術者!



原発の危機が回避されたようだったので,もう一度駅まで足を伸ばしてみた。
給水車に並んで水を入手する。

駅前で昨日別れた三重の人に電話をかけてみた。
すると新潟経由でようやく名古屋まで戻ってきたとのこと。
よかった!無事帰れたんだ。


明るいニュースを聞いて,やや心も軽くなる。このままいい方向へ向かうといいな。
しかし,ホテルに戻りテレビをつけて状況は一変した。

ドンといった爆発音?

原発1号機でドンといった爆発音がしたという。
NHKで写真が映し出される。少し前の1号機の写真と今の1号機の写真。
明らかに屋根の部分が吹き飛んでいる。

どういうことだろうか。

情報がほしい。そうこうしているうちに,Twitter上で友人から日テレの映像がすごいと教えてもらった。

日テレを見た。1号機が爆発して屋根が吹き飛ぶ瞬間の映像。


青ざめた。

やばすぎる。最悪の事態かもしれない。
もしかすると,大量の放射能が放出されてしまったのだろうか。
iPhoneで地図を確かめた。郡山から真東に約60kmの位置に福島原子力発電所。。。

名古屋まで戻ったという三重の人。
あの時無理にでも車に同乗させてもらえばよかったのだろうか。
あそこが自分の人生の岐路だったのか。そんなことまでふと頭をよぎった。


記者会見が延長になる。不安が更に増す。
Twitterや民放テレビでは,最悪の事態を予感させるようなコメントや記事が流れる。

こっちは発表の内容を信じるしかないし,これまでだって誠心誠意できる限りのことを話してくれたものと信じている,信じたい。
いたずらに不安を煽るようなことは言ってほしくない。
たとえ悪意がなかろうとも,善意のつもりであったとしても,どれだけ心が挫けることか。。



とにかく待つ。正式な記者会見による報道を待つしかない。そう思った。


20:30過ぎ。ついに記者会見が始まった。
本当に緊張だ。固唾を呑んで見守るとはこういうことだ。

爆発は水素爆発によるもの。原発は大丈夫。。。。。よくぞ!!

よかった。本当に。涙が出た。
もちろんこれで終わりではないのだが,本当によくがんばったと心から賛辞を送りたかった。


21:00過ぎ
電話で嫁と会話。電話口でおんおんと泣かれてしまった。
期せずして夫婦の絆も深まっているようだ(笑)。


明日こそは帰らなくっちゃ。


3-11-08.jpg
給水車に並ぶ人の列

3-11-09.jpg
水をもらった

(つづく)
2011.04.18.Mon 23:55 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
(~つづき)


【3月12日】

結局11日の晩はテレビをつけっ放しで寝た。服も着たまま寝た。

次々と入ってくるニュース。震災と津波の映像に何度も泣いた。
福島原発の速報が入るたび,非常な緊張感を持ってそれを見た。

シャワーは1日目は使えた。が,後でカランをひねっても水が出ないのを見て断水していることに気がついた。ボイラーのお湯だったのにえらく無駄な使い方をしてしまったな,と恥じた。

たまに停電になった。備え付けの懐中電灯で灯りをとったが,結局何もすることがなく寝るしかなかった。

時折余震が来た。震度3か4ぐらいと思うが,結構揺れるときもあった。

夜中にも起きて,テレビが使えたらしばらく見て過ごした。
iPhoneも重要な情報源だった。YahooニュースやTwitterは細かくチェックした。
Twitter上では知人と会話できたりした。つい金沢で知り合った人たちが何度もツイートをくれた。
郡山にいることを知った友人からもメールが届いた。
そういうわけでテレビとiPhoneは情報源としてかなり重要だった。

7:00過ぎ,ロビーまで降りると20人くらいの人がソファーや床に寝転がり休んでいた。
部屋で休める自分は幸せと思う反面,ちょっと申し訳なかった。

コンビニでヨーグルトを買い,昨日買ったSOYJOYと一緒に朝食にした。

東北新幹線はおろか上越新幹線さえ復旧のメドがなさそう。
高速バスとかはどうだろうか。駅まで行ってみることにした。

町は静かで車どおりも少ない。昨日被災した場所はホテルから30mほどのところだ。
ところどころ割れたショウウィンドウや崩れた屋根が目に入る。
昨日の吉牛は店を閉めていた。

郡山駅は昨日と同じく黄色い区画テープが貼られて閉鎖していた。
正面の時計は2時48分をさして止まっている。
駅前に給水車が止まっていて,30人くらいの人が並んで水をもらっている。

高速バス乗場に行くと,運行中止の貼紙がなされていた。
同じように出張風の格好をしたサラリーマンが数人,同じように貼紙を眺めている。
レンタカーの店にも行ったが,車なしの貼紙。

どうやら今日も金沢に帰るのは無理のようだ。


ヨドバシカメラに行くと,店の中には既に人がいて,一生懸命後片付けをしていた。
昨日と同じようにお願いしてみたところ,快く店を開けてくれて乾電池とiPhoneのUSBケーブルを売ってくれた。
ありがたい。なんてやさしい。


ホテルに戻った。さあ,今日も帰れないことは決定だ。
ホテルにお願いしたところ,もう1泊も了承してくれた。感謝!

感謝しているところに更に感謝が。
11:00前にドアをノックするので開けてみると,ホテルの女の人がオニギリとお茶を配給してくれるではないか!
すごい。なんと温かい心遣い。

もう感激しっ放しだ。郡山がいっぺんに好きになった。


やることがないので,12:00過ぎにもう一度町を徘徊。
昨日壁が崩落していたうすいビルの前に行ってみたが,昨日のままだった。
横のコンビニに入ったら珍しくアメリカンドッグが残っていたので入手。

ホテルに戻るとロビーでけんちん汁をふるまっていた。
すごい。感激。だいぶお腹は満たされていたのだが,それでもいただくことにした。

よく見るとホテルの正面のガラスにも亀裂が入っている。
けんちん汁を食べている間,ホテルの人たちは脚立を使って亀裂にテープを張る作業をしていた。

本当に大変なのは僕らのような旅行者ではなくて,現地の人たちだ。
この震災と長期間向き合っていかなければならない。
それでもこうして僕らにやさしく接してくれる。本当に頭が下がる思いがした。


(つづく)
2011.04.18.Mon 23:50 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
(~つづき)
ホテルを5件ほど歩いて回ってみる。しかしどこも事情は同じだ。全て断られた。
ロビーには数人の人が座って休んでいる。
泊まれることを期待しているのか,それとも泊まれる準備が整うまで待っているのか。

18:30頃。駅前に戻ってきた。路頭に迷った。今晩泊まるところがない。

すっかり暗くなった駅前にはいつのまにかブルーシートがいくつか貼られ,その下でたくさんの人が待ちわびていた。
車でのお迎えを待っているのだろうか。
それとも自分と同じように,行くところがなく立ち往生しているのだろうか。

新聞紙を敷いてたくさんの人が座っている。80ぐらいのお婆ちゃんもいる。
隣に座っているおばさんが配られた毛布を一生懸命お婆ちゃんに掛けてあげている。

駅は閉まったままだ。相変わらず寒い。このままいたら身体を壊すだろう。


今頃になって楽天から予約完了メールが届く。それを見て思った。
意を決してもう一度ワシントンホテルにお願いしてみよう。

ホテルに向かう。ロビーは薄暗く,何人かの人がソファーに座って休んでいる。
フロントで予約完了メールを見せて説明すると,今度は快く宿泊を了承してくれた!

よかった。とりあえずこれで身の落ち着け場所ができた。

部屋は3F。電気は消えているらしい。
ホテルの人の案内で懐中電灯を使って暗い階段を上っていく。廊下も電気は消えている。

部屋に入ると一応電気は点いていた。どうやら復旧したりしなかったりのようだ。
5分ほどいたら電気が消えてしまった。

いっぷくして,夕食を探しに出ようとした頃だ。階段のほうから「ドーン!」という音が聞こえる。
何事だろうと思い,懐中電灯を手に持ち部屋を出た。

階段を下りていくと,1F踊り場のところに人が倒れている。暗闇で階段から落ちたんだ。
横でホテルの女の人がしきりに声をかけている。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
「動かないで!」「今救急車が来ますから!」


倒れている人は若い男の人だ。
大の字になったその頭の部分にちょうど壁のパイプが縦に走っている。あそこに頭をぶつけたのだ。
左手をゆっくりと動かしながら,朦朧として呻いている。時折息遣いが異常に激しくなる。
暗闇でみるその光景は非常に怖かった。ダメだ,何もできない。部屋に戻る。

ほどなくして救急車のサイレンが聞こえた。再び行ってみると,もう男の人の姿はなかった。

隣のコンビニに行くと一応店はやっていた。商品はだいぶ少なくなっているが,それでもまだいろいろとある。
カップ焼きそば。おかき,チョコレート,ペットボトル,SOYJOY,下着,歯ブラシ等を買い込む。
焼きそばにはお湯も入れてもらった。

部屋に戻って懐中電灯の灯りで食べた。食べている最中に灯りが戻った。復電したんだ。
テレビをつける。
津波の映像が目に飛び込んできた。
そしてようやく知った。この地震のすさまじさを。
涙が止まらなかった。

(つづく)
2011.04.17.Sun 08:38 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
3月11日14時46分。その日自分は福島県郡山市にいた。

あれから1ヶ月以上が過ぎた。
自分が体験したことから気持ちの変化まで,まとめておこうとようやく思えるようになった。
かなりの長文になるが,書いてみようと思う。


【3月11日】

郡山ははじめてだった。
ふだん金沢から仕事で行く機会などないのだが,たまたま入ったクレーム対応で自分が行くことになり,
12:00に駅に降り立ったのが郡山との出会いだった。

ほどなく三重の人,仙台市の人と合流し3人で仕事場へ向かった。どちらも初対面。

車の中,仙台の人に「9日の地震はどうでしたか?」と話しかけたのを覚えている。
「大したことなかったよ。昔のやつの方がひどかったね」。
そう答えてくれたその人は仙台若林区の人。この後起こることを誰が予想できたろう。

現場作業は短時間で終わった。仙台の人の車で郡山駅に戻り,駅前で3人それぞれ別れたのが14:30過ぎ。
仙台の人は高速で宮城方面へ。
三重の人は郡山駅内へ。
自分はといえば,iPhoneのバッテリーが切れかかっていたため,電気店を探しに街中へ向かったところだった。


そう。駅前通りを西に向かって歩いていた。
ホテルアネックスのアーケードの下で「ゴゴゴォ」という音が響いてきた。
「風かな?」
アーケードを見上げた。続いて後ろを振り向いた。
そのとき信号待ちしている車の屋根が大きく揺れているのに気がついた。「地震だ!」

すぐに強烈な揺れが始まった。アーケードがきしむように揺れている。
体験したことのないような揺れだ。しかも長い。止まらない。

アーケードの屋根を見ていたら怖くなり,あわてて移動した。
スクランブル交差点の横断歩道の上で,建造物が倒れてきても大丈夫そうな場所に立つ。
カバンを地面に下ろす。
ややおさまったように感じた揺れが再び強くなる。すごい地響きが続いている。
目の前の信号機が赤色点灯したまま,折れそうなほど大きく揺れている。
次に見たときにはスクランブル交差点の信号機は全て消えていた。

揺れていたのは2,3分だったのか。実際にはもっと長く感じられた。
地響きのような音が,揺れがおさまった後も残響音のように周りに響いている。
この音は大地から発せられているのだ。



揺れがおさまった後,すぐにTwitterを打った。続いて電話をかけようとした。が,つながらない。
うろたえる周囲の人が目に入ってきた。同じく交差点にいた女子高生が駅のほうへ走っていく。
後ろは中央通り。200mほど離れたところに人だかりが見える。
「あそこで壁が崩落したみたいですよ」。サラリーマン風の人が教えてくれる。

どうしたらいいか。どこに行けばいいのかわからない。

少しうろたえた後,人だかりのほうへ向かった。携帯のバッテリが上がっているのは致命傷になりかねない。
情報源として,連絡手段としてバッテリーだけは確保しておかねばいけないと思ったから,
入手できそうな店を探そうと思った。
うすい百貨店の向かい。DOCOMOのビルの3Fの壁が崩落して,コンクリートの瓦礫が道いっぱいに広がっている。

揺れが収まってすぐに猛烈な吹雪になっていた。寒くてとても立っていられない。
あわてて百貨店の中に入るが,中から警備員の人が
「建物の中は危険です。早く外に出てください」と外に誘導される。
店内は棚から陳列物が床一面に散らかっていた。ひどいことになっている。

これは相当な地震だと認識した。


3-11-01.jpg
ホテルアネックスのアーケード下で揺れ始めた(翌日撮影)

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地震のときに立ってこの風景を見ていた(翌日撮影)

3-11-03.jpg
うすい百貨店向かいの建物は壁が崩落していた

(つづく)

2011.04.17.Sun 08:22 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)

ツイッターをはじめて今日で10日。
ブログに転送する設定をしたもんだから、ブログもすっかりツイッター記事で埋まってしまった。

まだまだ初心者なのだが、なんとなくツイッターというものがわかってきたので、
ここでファーストインプレを書いておこうかなというわけ。


そもそもツイッターをはじめたきっかけというのは、
サンデーモーニングで張本と江川紹子がぶつかり、その内幕がツイッターで暴露されたという話から。
(詳しくはググって下さい)

それまではなんとなくツイッターというものは知ってはいたが、

なんでわざわざ、独り言のつぶやきを活字にしなくちゃいけないの??

という、実はあまりよくわかっていない感想を持っていた。
が、上記の事件からちょっと中身を覗いてみたくなり、アカウントを取ったのがはじまりというわけ。

その後、実はiphoneとの相性が非常によいことや、公開性が高く2ちゃんのような荒らしが少ないことが
わかってきて、
相手が見えるネット上のネットワーク (?なんか表現が変だが) の魅力というのに気が付いた。
気に入った話をしている人を、割と気軽にフォロー登録できるので、
あまり気負いもせずに、ネットワークが広がっていきます。これは面白い。

名前で検索したら、案外身近な人たちが発見できたことも大きかった。
あー、みんなこんな面白いところで活躍していたんだね、っていう感じ。

さて、とりあえず慣れてくると、今度は自分はどんな情報発信をしていけばよいのかな、っていうことを
考えるようになります。
ちょうど今はそんな感じ。

で、自分を振り返ったときに、やっぱり仕事のことが自分の中の一番の課題になっていて、
製造業に属するものとして、モノづくりの未来、日本の技術力、などをどのように考えていきたいか、
ということを中心に書いていこうかな、と思っています。

その中には、この間自分の考え方がだいぶ変わってきたりして、
意見として表現することをはばかるような場合もあります。

が、まああまり臆せず、力も入れすぎず、
バンドの話、音楽の話なども織り交ぜながら、
気楽に楽しみながら、自分の思いを表現していこうかな、と考えています。


そんなわけで、ツイッターは楽しいです。皆さんにもぜひ始められることをオススメします。
そのときはツイッター上で会いましょう。

2010.07.06.Tue 21:37 | 文化評 | trackback(0) | comment(1)
今週は、以前楽しみにしていて映画館で見ることができなかった映画を、ようやくDVDで見れた。

まず、「沈まぬ太陽」。

ちょうど会社が休みのときに、ぶらりと一人で映画館に行き、入ろうか迷った挙句、
3時間半という長さから見送った経緯がある(結局、東野圭吾の「さまよう刃」を観た)。

原作のほうは、1巻ハードカバーだけは我が家にあるのだが、
かなり早い段階で挫折してしまった。

そういうわけで今回、原作未読です。

感想。
だいぶ時間が足りない。残念です。
組合運動=安全に飛行機を飛ばすため、とはもう少し丹念に書かないとピンと来ない。
ここが弱いと、その後の島流しにあったこと、その中でも信念を貫いて生きていることなどが、
会社との対比の中で心に迫ってこないかなあ。
終身雇用の時代とは、だいぶ変わってきているので、
若い多くの人は「そんなんならやめれば?」と思ってしまうと思う。

それにしても、会社の無法ぶりはすごいね。
本当にこんなむちゃくちゃなことが横行していたのか。たぶん、していたんだろなあ。

そして、変貌してしまう行天さん。あそこまで極端に人は変わってしまうだろうか。


自分が同じような立場になったとき、どのような生き方を選択するのか。
いろいろ考えさせられました。




2010.06.20.Sun 09:16 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)
あー、「ゼロの焦点」の映画をようやくDVDで見れたよ。

小説の感想はこちら
ゼロの焦点

木村多江うますぎ。金沢弁もサマになっている。
中谷美紀もさすがだ。鬼気迫る。
広末涼子はちょっと役どころとしては幼いイメージか。
語りのたどたどしい口調は、いかにも現代人。可愛いから許されるが、この映画には合ってないだろ。

室田社長が鹿賀丈史?ちょっと小説読んだときとイメージが違った。最後も違うし。


映画は映画で面白いのだが、やはり小説には叶わない。というか語りつくせていないだろう。

禎子(広末)の、その場面ひとつひとつで「おや?」と思ったことが、
やがて全体の像をなしていく、というストーリーなので、
そうして心のつぶやきを丹念に描いていかないと、難しいんじゃないかな。

だから、最後に一気に全体像を語らせてしまっても、やや無理がある。


室田佐知子(中谷)と田沼久子(木村)の崖上のシーンは圧巻でした。
このシーンはすばらしい。

ここがすばらしいだけに、その後のラストまでのオリジナルストーリーはどうも。。


新しい時代を夢見て懸命に生きた人たちがいて、
その時代の先に、僕らの今生きている現代がある

という
小説では強く感じなかったメッセージには、訴えかけるものがあったよ。

2010.06.20.Sun 08:53 | 文化評 | trackback(0) | comment(0)






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